リサイタル無事終演♪

2024.10.14.夏秋裕一チェロ・リサイタルVOL 2にお越しいただき誠にありがとうございました!2回の延期を経てやっと開催することができ、喜びもひとしおでございます…!ピアノの久下未来さん、ソフィアザールの遠藤さんにはとても感謝いたしております。本当にありがとうございました!そしてお越しくださった方々、沢山集まって下さってとても嬉しかったです。感謝いたしております…!

久下未来さんありがとうございました!バッハ無伴奏組曲からスタートしたので、ベートーヴェンでピアノが入ってきてくれた時にどれほど心強かったか…!笑 (バッハは緊張しすぎ…力みすぎた…反省!難しい…!)

あぁ楽しかったなぁ♪ほんと。個人的な反省点は山ほどありますので、これからももっと高いところを目指して継続していきたいと思います。感謝感激。

緊張のバッハ…。精進いたします…。

沢山お集まりいただいてありがとうございました!

アンコールは3曲演奏しました。リヒャルト・シュトラウスの万霊節、ドヴォルザークの我が母に教えたまいし歌(クライスラー編)、ブラームス子守歌でした。

アンコールで演奏したリヒャルト・シュトラウス万霊節です。↓

今回のプログラムノートも載せちゃいます…長いです。(深夜テンションの駄文ですが、何とか書きました)こんなに書いたのに、実は書きそびれた事があって、リヒャルト・シュトラウスのチェロソナタ第2楽章での、叶わぬ恋?への憧れに胸が高鳴る場面でもニ長調なのでした。(今回のプログラムでの重要なキーワードであるニ長調)

プログラムノート

J.S.バッハ(1685-1750)

1685年現在のドイツのアイゼナハ出身。音楽家一族。職人音楽家。宮廷や教会での音楽。バロック時代。

ケーテン時代(32歳〜38歳)に作曲されたと思われる無伴奏チェロ組曲は第6番まであり、5番は変則調弦(スコルダトゥーラ)、6番は5弦楽器の為作られた。ヴァイオリンやヴィオラのように肩で支えるタイプの楽器で、ヴァイオリン調弦の下にC線を加えた5弦だったのではないかと考えられている。ヴァイオリン属(4弦)が得意な奏者にもヴィオール属(6〜7弦)の良さを味わえる感じか。自筆譜は残ってない。楽譜節約の都合もあるだろうが、アンナ・マグダレーナの写本ではアルト譜表で書かれている。本日は通常のチェロで演奏する。前奏曲と5つの舞曲(アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォットⅠ Ⅱ、ジーグ)。私は随所でアイリッシュ風な要素を感じていて、もしかしたらフィドル奏者は上手に演奏するかもしれない。通常チェロでは難易度高すぎ曲。ガヴォットⅡでのバグパイプの模倣や、ジーグ冒頭でのホルン音型が楽しい。フィドルぽさを探しながら聴いてみて欲しい。

⭐︎憧れポイント

①バッハの多彩さへの挑戦。無伴奏チェロ組曲では音を極限まで削ぎ落とすシンプル方向だけでなく、弦を5本に増やしてまでの多彩さへも意識があった事。チェロという楽器がまだ伴奏メインだった時代のソロへの憧れ。

②ニ長調。明るく野外的。チャーミングでもあるし天上界への憧れも感じる。

③通常チェロでの軽やかさへの挑戦はチェロ奏者の憧れ。

L.v.ベートーヴェン(1770-1827)

1770年現在のドイツのボン出身。古典派からロマン派へ。ウィーンで活躍。時代は貴族社会から市民中心の社会へ移り変わる過渡期。宮廷楽師ではなくいわゆるフリー音楽家の先駆者。音楽を貴族社会のBGM的な存在ではなく、”芸術だ”と言った最初の音楽家。

1796年(26歳)頃に作曲。モーツァルトのオペラ”魔笛”の主題を用いて12の変奏を行う。まだ耳は聴こえている。1796年にプラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンへ演奏旅行した際、ベルリンで国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世から宮廷に招待され、チェリストのデュポールとチェロソナタ1番、2番を御前演奏しており、国王の伯父であるフリードリヒ大王(フルートの名手でもあった)の愛好したバッハやヘンデル、モーツァルトの作品を主題にした作品を作曲し、敬意を表明したようだ。出版は1798年。同年出版のピアノ三重奏曲”街の歌”は作品11、ヴァイオリンソナタは作品12なのに、この作品はなぜか66で興味がある。ちなみに作品67は有名な交響曲第5番”運命”で出版は1809年。王様を喜ばせる為に作った曲に66という数字をあてる…何か意図があるのか…ないのか。

主題はモーツァルトのオペラ”魔笛”より”娘っこでも女房でも”。鳥刺しのパパゲーノが可愛い女房が欲しいと歌う場面での音楽で、12の変奏を見ていくと、売り込み中のベートーヴェンが私はバッハの如く巧みに変奏できるのだという技術力アピールと大衆への受け入られやすさが合わさったようで見事。ヘ長調。

主題は4分の2拍子。Var.1(まずはピアノソロ!拍ずらし技)Var.2(チェロ高音メロディ!)Var.3(左手高速ピアノ、裏打ち)Var.4(ホルン音型。掛け合い)Var.5(付点音符、フーガ風)Var.6(右手高速ピアノ、裏打ちチェロ)Var.7(長いスラーでレガートに)Var.8(今度はスタッカート!3度重音でピアノ協奏曲風、シンコペーション、クレッシェンド終わり!)Var.9(必殺拍ずらし、フーガ風)Var.10(ヘ短調のアダージョ!レチタティーヴォ風)Var.11(ヘ短調再び。4分の2拍子なのに8分の6拍子のような3連符)Var.12(ヘ長調に戻るが、なんと3拍子に!壮大。華やか。途中夢見心地なニ長調(!)を経て、最後はおしゃれに)と続く。

⭐︎憧れポイント

①モーツァルトに憧れるベートーヴェン。

②最後一瞬ニ長調の別世界へ。夢見心地への憧れ。

レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)

1854年モラヴィア北部のフクヴァルディ(現在のチェコ東部、ポーランド国境近く)出身。革命や民族運動が盛んだったチェコのロマン派時代の作曲家。チェコと言えばスメタナやドヴォルザークが有名だが、彼らの生まれたボヘミア(西部)はプラハがありドイツのドレスデンやバイロイトの隣で、ヤナーチェクの生まれたモラヴィア(東部)は隣がポーランドとスロバキアである。チェコの中でもそれぞれ地域の特色があるのだろうなと感じる。20歳の頃プラハへ滞在したヤナーチェクはドヴォルザークと親交を深め、25歳頃にはライプツィヒやウィーンへ留学している。モラヴィア地方の民族音楽を研究して作品に生かしていた作曲家で親ロシア的。ロシア語を学びオペラの題材にドストエフスキーの小説などを用いている。

おとぎ話は1910年(56歳)作曲され1923年(69歳)改訂。全3楽章。話し中に段々と語り手(奏者)がヒートアップしてきて主人公そのものになりきってしまうような幻覚感がある不思議さを持つ曲。私が受けた印象は民謡あるある的な、結婚式なのに悲しいお話であったり、穏やかで楽しい口調だけど実は戦いを伝える内容の曲だった。みたいなイメージ。1楽章は幸福で浮遊感のある霧の中から自然と物語が始まり、チェロのピッチカートは水しぶきのよう。同じ音型を繰り返す荒々しさがあるにも関わらず場面は変化していき引き込まれる。2楽章冒頭は森の中を木陰から木陰へ走る小動物とその影のイメージ。途中ヒートアップして語り部がオペラ歌手のように。3楽章は隊列を組むおもちゃの兵隊さんで、兵隊さんの気持ちになってみたり、そのおもちゃで遊んでみたり。私が感じた事なので正解では無いかもしれないが、妄想の助けになれば嬉しい。

⭐︎憧れポイント

①独自性への憧れ

②平和への憧れ

リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)

1864年バイエルン王国の首都ミュンヘン出身。後期ロマン派時代の作曲家、指揮者。第二次世界大戦も経験している。父は音楽家でミュンヘン宮廷管弦楽団首席ホルン奏者。ワーグナーの”トリスタンとイゾルデ”や”ニュルンベルクの名歌手”などの初演で演奏しており、ワーグナーから「ホルンソロをこれほどうまく吹ける人はいない」と絶賛されるも、本人はアンチワグネリアン。ギターやヴァイオリンも弾けて万能楽師であった父の厳しい保護下で彼好みの古典音楽(モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ウェーバー、メンデルスゾーン、シュポアなど)を学ぶ。家ではワーグナーの新曲を父が練習していただろうし、リヒャルト・シュトラウス本人はワーグナーへ憧れていて、のちに大編成オーケストラによる”英雄の生涯”や”ばらの騎士””アルプス交響曲”などを作曲していくようになる。

室内楽のイメージは少ないシュトラウスだが、特に若い頃にはきっちり学びを形にしていて、弦楽四重奏やピアノ三重奏なども作っている。いずれも10代の作品。チェロソナタ作品6は17歳から19歳の頃に書かれた。全3楽章。ヘ長調。父のオーケストラの首席チェロ奏者に名手ハヌシュ・ヴィハーン(1855-1920)がおり、彼が1883年初演を行なった。彼は19世紀のボヘミアで最高のチェリストで、のちに有名なドヴォルザークのチェロ協奏曲などを献呈されるチェコのチェリスト。チェロ奏者では他に元ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団首席奏者でブラームスとも共演しているチェコ人のポッパー(1843-1913)や、若手のパブロ・カザルス(1876-1973)らが同時期に生きてた、そんな時代。20歳に満たないシュトラウスがベルリンへ旅行した際、サロンでチェロソナタが演奏されて、聴いていたヨアヒムに褒められる。1882年ワーグナー”パルジファル”初演、スメタナ”わが祖国”全曲初演やベルリンフィルの設立、1883年ブラームス交響曲第3番初演、1884年ブルックナー交響曲第7番の初演などなどが各地で行われる中、シュトラウスは活動を本格化していく。偉大なる先輩音楽家への憧れやエネルギーに満ち溢れている作品。1884年にはビューローと知り合い、マイニンゲンで指揮者デビュー。同演奏会では自作曲初演の指揮、モーツァルトのピアノ協奏曲のソリストを行うなど意欲溢れる活動。聴いていたブラームスにアドバイスをもらう。ブラームス交響曲第4番のマイニンゲン初演ではブラームスが指揮をして、ビューローがシンバル、シュトラウスは大太鼓を担当した。チェロソナタ作曲中には、ハヌシュ・ヴィハーンの妻であるピアニストのドーラ(1856-1938)と良い感じになってしまっていたらしい。のちにヴィハーンは離婚してプラハへ戻ってしまう。父は手紙で「若い芸術家はまず自分の名声に傷が入らないようにしなくてはいけない」と息子を案じて忠告している。第1稿では長調だった2楽章が、変更されて短調になったのも何か影響があるのかもしれない。ブラームスが1886年に書いたチェロソナタ第2番がヘ長調なのはリヒャルト・シュトラウスの影響があるのかもしれない。

⭐︎憧れポイント

まさに憧れと生命力に溢れる曲。チェロとピアノの編成ではおさまらないエネルギー。金管楽器が欲しくなる感じ。2楽章の深遠な世界にも驚かされる。

1人反省会をする夏秋なのでした。

また続けて頑張りたいと思います。ブラームスのソナタとか…どちらも良いなぁ…🤤

ありがとうございました!